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千葉周作(ちばしゅうさく)寛政5年1793年〜安政2年1856年12月13日は日本の武士。

江戸時代の剣術の流派北辰一刀流創始者で、

千葉道場の総師範。姓は平氏、名字は千葉周作、諱は成政。その道場である玄武館は幕末三大道場のひとつで、

北辰一刀流剣術の門下から多数の幕末の著名人を輩出し、志士の間での閥を作った。 

主な人物浪士清河八郎、山岡鉄船、新鮮組幹部

山南敬助、土佐藩士坂本龍馬などがいる

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千葉周作の人間像

周作は 面長で眉が秀で、切れ目に
鼻が高く、身長は6尺(180センチ)もある立派な体格をしていて。少年時代頃から
人一倍負けん気が強い性格で、

剣術家としても一流であり、ものごとに
対して徹底した合理主義者でもあり

当時周作が開いた玄武館も合理的な剣術指導法や竹刀、防具の改善、など現代の剣道に
多大な影響をあたえました。文人としても多くの和歌、短歌、俳句をたしなみ、
どんなに忙しくても日記を書き、興が乗ると即興で歌を吟じたそうです。




剣豪千葉周作一生誕地の謎を明かす
佐藤訓雄著から抜粋


講談社
山岡荘八歴史文庫より抜粋

千葉家系図 山岡荘八歴史文庫より抜粋
 
周作 年譜

1794
栗原市花山村で千葉幸右衛門次男として生まれる (岩手県陸前高田市の説もある)

1803
少年時代を花山村で過ごす
   孤雲(佐藤重太郎)による肝だめし
孤雲(佐藤重太郎)が自分の愛刀を周作に差し出す。
1807一家とともに松戸に移住
1819浅利又七郎(小野派一刀流)妻の兄の娘と結婚
1820一刀流組太刀の改組で養父の怒りを買い、家をでる名を千葉周作に改める
1822伊香保掲額騒動、玄武館を構える
1825玄武館移転
1825 幕府が外国船打払い令を出す
1837 大塩平八郎の乱
1841 天保の改革
1841水戸藩の巨籍に入り 馬廻役百石の禄受ける
1853アメリカの使節ペリーが来航し、浦賀で開国を要求する。
1853 坂本竜馬が当道場の門人となる
1854 ペリーが再び来航し、日米和親条約(神奈川条約)を結ぶ。
1855千葉周作成政死去
1858周作弟千葉定吉から坂本竜馬が「北辰一刀流長刀兵法目録」を授けられる。

1860 桜田門外の変


剣豪千葉周作一生誕地の謎を明かす
佐藤訓雄著から抜粋